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20代で自殺未遂をして死にかけて分かったこと【体験談】

投稿日:2019年11月3日 更新日:

20代で自殺未遂をして死にかけて分かったこと【体験談】


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僕が自殺未遂をした時の話を書きます。

最初に言っておくと、もし、僕と同じように自殺を考えている方が見ていたら。
なにもいい事はないからやめたほうがいいです。

伝えたいこと

このページでは、自殺未遂に至るまでの過程と結果を伝えることで少しでも、同じような考えを持っている人が思いとどまってほしい、同じような環境にある人が救われてほしい、という思いで詳細を書いていきます。

こうして僕は自殺未遂をしました

僕が自殺未遂をしたのは、23歳の時です。
夏が終わり、少し肌寒くなってきた10月の頃でした。
いわゆるOD(オーバードーズ)というやつで、その時手元にあった市販薬やら何やらを片っ端からお酒で流し込みました。

<自殺未遂に至るまでの経緯>

当時の周辺環境

当時の僕は、某現場の下っ端フリーランスとして働いていました。(諸々の事情で詳細が出せず申し訳ありません。)大学を出てからそこでの仕事をしていました。2年いかないくらいの期間です。

あこがれのあった業界で、自分にとっても勉強になると思い、ご縁がありぜひ働かせてください、という流れで決まりました。

当時、同じ業界の小さい現場ですといくつか経験も知識もありましたが、働くことになったのは業界の中でも最大規模くらいの現場で、自分のスキルからすると飛び級もいいところでした。
なので、きついことは覚悟していましたし、この業界で食べていきたい、という気持ちもありました。なによりその業界が好きだったので、がんばれると思っていました。

しかし、ことはそう上手くいかず。様々なことで徐々に精神的・肉体的に負荷が増えていきました。大きく分けると、収入面・環境面の2つです。

収入面


収入面は、フリーランスということもあり、請求書を出してから振込まれるまで、2ヶ月程ラグがあるのが常でした。金額にしても、月にすると10万いかないくらいの金額で他のバイトなどをしている時間もありませんでした。スキルも経験もないのにお金がもらえるだけありがたい、と思っていたので、生活をかなり切り詰めながらがんばりました。
それでもどうしてもお金が足りず、働くために借金も徐々に増えていくことになっていきました。
半年程すると、ある程度期間が空くタイミングが出来るようになってきたので、その間はアルバイトをしてお金を貯めましたが、ほとんど生活費と借金の返済で消えました。

環境面


環境面は、あこがれの業界ではあったものの、上司にあたる人、プロデューサーにあたる人の仕事の仕方がどうも合わず、とても葛藤しました。
当時の自分から考えると発言力もなく、意見するにも難しい状態だったので、とにかく我慢するしかない状態が続きました。そんな中でも、自分としては経験したことがないことが山ほどあったので、毎日ついていけるように必死でした。

仕事で合わなかった点ですが、主に、仕事の優先順位と人間関係です。
当時の仕事の受け方として、親会社がまずあり、そこのプロデューサーが各現場ごとにスタッフを集め仕事を回すことになっていました。
そのため、現場ごとで上司が変わることになります。大元にいるのは毎回親会社のプロデューサーになります。
どの現場の時も、僕のポジションは実際いなくても事足りるようなポジションでした。そのため、各現場ごとに集められた外部の上司にあたる人たちは得てして、僕の扱いが面倒くさそう、というのが印象でした。
なにしろ、自分の会社の人間でも後輩でも部下でもない、スキルがない人間にわざわざ仕事を教える手間をかけるのはお金になりません。ただでさえ現場が大変なのに、そんな手間をかける人はいません。
僕としても、わざわざ教えてもらわず、仕事を盗んで考えて自主的に行動するよう努めていましたが、どうしてもなかなか上手く立ち回ることが出来ないことが続きました。

各現場の上司も上司で、親会社のプロデューサーともめる方が多く、そこの関係もうまくいっていない場合が多くありました。

そんな環境が続き、何を大切に何を楽しみに仕事をすればいいのかわからなくなっていきました。それに、仕事をすればするほど、自分の仕事の仕方と、上司やプロデューサーの仕事の仕方が合わない、ということも分かっていきました。

連日の強制飲み会

加えて、朝まで飲みに連れ回されることも多く、寝不足の日もつづきました。
平均3~4時間睡眠だったと思います。電車賃もなかったので、仕事場へ往復で長い時は一日の内3時間前後、自転車で移動をしている日も多くありました。
飲みに連れて行かれ、タクシーで帰るお金も電車もなく、家に帰れない日も多くありました。
断ろうとしても、怒鳴られて無理やり連れて行かれました。

<自殺未遂に至るきっかけとなった出来事>

どっちの味方?

1年半ほど働いたあたりで、ある事件がありました。
仕事で失敗したとかなら自分だけのせいなのでまだ良いのですが、人間関係の問題でした。
プロデューサーの味方につくか、現場の上司の味方につくか、という問題です。
実際の内容は長くなってしまうので伏せますが、要約するとこういう問題です。

本当にくだらないと思いました。

それでも答えを出さなくてはならず、いろいろと立ち回った結果、僕は現場の味方であることを主張することに決めました。
ですが、それが間違いでした。

有無を言わさぬ説教飲み会

プロデューサーとその部下と僕だけが居酒屋に呼び出され、君はどう考えているんだと問い詰められました。何をどう説明しても反論されました。こちらの意見は全て無視です。
最終的にべろべろに酔っ払ったその人たちに、朝まで責められ続けました。
本来ならば、現場の上司も交えてみんなで話し合いをして、現場をまとめるのがプロデューサーの仕事のはずです。ですが、違いました。
悔しくて悔しくて、一人になったあとその場で泣き崩れたのを覚えています。

欝症状の始まり

その日をきっかけに、ひどい欝状態になってしまい、朝起きることが地獄のようにつらく、思考が正常に働かず、食欲もなくひどい胃炎も併発して吐き続けていました。
それでも仕事場には行っていましたが、気がつくと自殺の方法を調べるようになり、家に帰るたびに、「明日が来るのが怖い」と思うようになり、無理やりお酒を流し込んで酔っ払わないと眠りにつけない、という日々でした。

<自殺未遂をした当日>

不眠・リストカット・抑鬱・食欲不振、身体がSOSを出し続ける日々

精神的にも末期の状態に陥っていました。
軽いものでしたが、リストカットも度々するようになっていました。
自分の血を見たときに、生きている実感が少しだけ湧いたのを覚えています。

きっかけは一度の寝坊

そんなある日、かなり盛大に(2時間ほど)寝坊をしてしまい、その時に、「がんばって現場に行かなくては」、という考えにはならず、「あ、もうだめだ。死のう」と即座に考え、そこからは早かったです。
最初にも書いたとおり、その時家にあった様々な飲み薬を100錠以上お酒で流し込み、現場の人にlineで「死にます、」のような内容を連絡した後、意識が途絶えました。

分かった事

このような経緯で、僕は自殺未遂をしました。これをきっかけに、当たり前ではありますが、

・人に気を使い過ぎてはいけないこと
・自分の意思を大切にしてあげること
・いざとなったら誰かに助けを求めるべきだということ
・何があっても死を選んではいけないということ

これらが身をもってわかるようになりました。

その後、しばらく業界から離れ、考えと体調を整えるために、3つのことを実行しました。詳細は自殺未遂経験者が話す欝を治療するたった3つの方法【経験談】をご覧下さい。

自殺未遂経験者が話す欝を治療するたった3つの方法【経験談】

目次1 自殺未遂経験者が話す欝を治療するたった3つの方法【経験談】1.1 <半年間の間にやったこと>1.2 <逃げ出す>1.3 <書き出す>1.4 <動き出す>1.5 まとめ 自殺未遂経験者が話す欝を ...

そして、2度と同じ過ちは犯さないと誓い、個人事業として業界に戻りました。

他人の目を過剰に気にする性格だったため、実行した3つのことを含め、メンタルや思考の改革は人生を成功に導く上で必須だとHEROは考えています。

 

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うつ。自殺未遂。借金。毒親の下での成長。苦しんで生きてきたこれまでから抜け出して、自分が嫌なことは死んでもしないと心に誓ってこっから大逆転します。

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